恋愛ドラマ

恋愛ドラマを見ていると絶対にありえないようなシチュエーションの場面が沢山出てきますよね。あの現実味のない感じがきっと視聴者をひきつけるんだと思います。
私自身もよくありえないシチュエーションとかセリフに対して、ありえないありえない現実味がなさ過ぎると思いながらもきゅんとしてしまったり、うかつにも声をあげてしまったりしています。
まして自分が好きな芸能人が、その役をやっていてそのシーンを演じていたら誰でもきゅんとしてしまいますよね。
私の中での恋愛ドラマは月9がお気に入りでほとんど外れなく毎クールのドラマを楽しみにしていて必ず録画をしてストックしていますね。
月9は、一回だけでは絶対に見たりません。断言します最低3回は見るべきです。
この流れのこの先が分かっているのに、きゅんきゅんしたり、悲しくなって泣いてしまったり、ドラマに翻弄されているし、ドラマを見ている間は嫌なことやストレスも無くなっています。
それを考えると俳優さん女優さんは、ほんとに天才的な才能だなと感心してしまいますね。自分にはない能力なので尊敬します。ドラマを作るプロデューサーさんもすごいですけど、やっぱり大好きな俳優さんを見ていて魅了するところとかがやっぱり一番すごいと思います。

寂しいクリスマス

自分へのクリスマスプレゼントを、ネットで注文してクリスマスに届くはずが、何かの手違いで年末に届いて悲しい思いをした数年前の独身時代の思い出をふと思い出しました。
まさかの年末ですか、と悲しくなり宅配会社に電話すると、うやむやな答えしか返ってこないし謝罪の一言もないし、私のクリスマスを返してよ。
と思いましたが、そもそも独身でクリスマスにプレゼントを贈ってくれるような男の一人も居ない女というだけで、とても寂しい人間ですよね。
それを宅配便の方にぐちぐち文句を言っていて更に惨めな気持ちになりました。
宅配便の方もきっと、寂しい人だなと思っていたと思います。
今現在私は結婚して毎年旦那からクリスマスプレゼントをいただいています。
これって本当に奇跡みたいでありがたいことなんだと毎年思いますね。
クリスマスに限ることではありませんが、一人より二人だなとあらためて感じることができます。
でもあのときのむなしい気持ち、寂しいクリスマスがなければきっと相手を尊重したり感謝したりすることは出来なかったと思うので、無駄ではありません、と思いたいです。
優光泉 楽天

ネット社会

インターネットで色々な気になるものを検索すると、本当に便利な世の中だなぁと思います。
でも、少し怖いのが、あなたにオススメの物ですとか、あなたにオススメのアルバイトですとか、だあなたにオススメの物件です。
といった、過去に検索したものがオススメとして表示されることです。
あれをされてしまうと、なんか全部を把握されているのかと気持ち悪く思ってしまいます。
SNSでもそうなんですが、自分が知らない人と、知り合いかもしれないとか、友達かもしれないとか、本当に怖い世界だなと思ってしまいます。
連絡先が分からなくなってしまった友達とかならまだ良いけど、もう繋がりたくない元恋人などとも、友達かもしれないとか、出てこられると本当に困ります。
あの機能は必要なものなのでしょうか?
という疑問すら抱いてしまっています。
LINEの知り合いかもしれないとかも、本当に嫌で困っています。
便利なんだか不便なんだか…なんだか年を重ねるにつれて、もうSNSを辞めようかなと、迷っています。
ただつながりがなくなると情報が入ってこないというデメリットもあるのでなかなか辞められないのが現実です。

とっても会いたい人

今一番会いたい人がいて、その人に会えない状況にあります。
あと、二週間経てば、その人に会える状況にはなりますが、本当に逢えるかは、まだ分かりません。
会いたいけど会いたいと言う勇気がないので、言ってくれるのを待っている状況なのですが、本当に会えるかはその人次第という所もあり、なんとももどかしい状況です。

会いたい会いたいと思ってから一年がたってしまいました。
自分から会いたいなんて言葉は、一度も言ったことがないので、今回は言ってみようかなと思っていて、少しだけ勇気を出してみようと思っています。
二週間後にもその勇気が残っていればの話ですけどね。

だから、あと2週間でダイエットをして、少しでも細くてスタイルのマシな見た目になってから自分磨きを成功させてから会いたいと思います。
ダイエットをがんばりたいと思います。
ただダイエットをがんばって痩せてからあったところで何かが変わる確信はないですが、会いたいという気持ちだけでがんばれるので、このままダイエットに突っ走りたいと思います。

誘惑に負けそうなときは会いたい人の顔を思い出してがんばります。

ニワタマ

ニワトリが先かタマゴが先か、私にはどっちがどっちかわからない。
これって答えが出ないと思うんです。
だって、誰も知らないから。
スタートを知っている人が居るならそれが答えだし、ニワトリとタマゴノ祖先を辿ったところで答えはないわけで。
もう死んでしまっている祖先を辿ったところでその時代に生きていた人はいないわけで。
というわけで私には答えが出せないと言うのが答えである。

だからいつまでもこれについて考えている人は頭がおかしいとずっと思っていた。
でもこれは言葉のあやで、ニワトリもタマゴもどっちでもいい話だったと言うことを知ったときは、本当に恥ずかしい思いをした。
何を私は本気になって考えていたのかと、あほらしくなった。

他人のことをあほらしいとさげすんで考えていたが、元をたどれば私があほだったのだ。
あまりに気になってきてしまったので、なんだか調べてみると、問いは次のように言い換えることができる。「X が Y 無しに生じ得ず、Y が X 無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだろうか?」だそうだ。
うむ、よくわからない。が私の答えだ。
やはり、私はあほなのかもしれない。

やさい

野菜嫌いな子供、嫌いな野菜がある子供、自分も嫌いな野菜があるし、身近な子供でも野菜が嫌いな子が本当に多い。
これは大人になる途中で克服しなければいけない問題だと思う。
こどもに気付かれないように、野菜を細かく切って料理に入れてみたり、気付かれない程の野菜の量にしてみたり、工夫の仕方はさまざまである。
また、苦手な野菜と大好きな肉を同時に食べさせることで、肉が野菜の味を打ち消してくれて食べられるようになったりする方法もひとつの手段として取り入れてもいいかもしれない。

良くない例としては、食事のときに出すのをやめてはしまうということ。嫌いな食べ物をそのまま存在自体を消してしまうことは、いつまでたっても嫌いなままで克服しません。
もう一つの方法としてお子さんと一緒に料理を作るというのも良いのではないでしょうか。
こどもさん自身も、自分でお手伝いして作った料理は、楽しい思い出とともに食べられるので、嫌いな野菜が中にあってでも食べれるようになったり、親子のコミュニケーションにもなることでしょう。

これできっと好き嫌いが少しは良くなるのではないでしょうか。
ノンエー 楽天

よく多摩川の話をしました

前に、うちの近所は寺も多く、よく多摩川の話をしました。
多摩川って危ないんですよ。知らん若者が羽目を外して、川に飛び込んで、亡くなっただとか、もっというと、変な輩が来て、という少し夜は危ない所なのです。
近所で、亡くなるネタの一番が事故死。なんでしょうね。この前、Nさんの旦那が突然亡くなりました。
実はお子様が、重い障害を抱えていました。
急に旦那がいなくなってから、その家では、でかい音楽が流れはじめました。
何故かは分かりません。ジャンルも不問のようですね。大きな音楽を流していて、何があったのか、寂しさからか何かという話をよく聞きます。
Nさんって二面性強い人だと思っているのですが、そのお子様が福祉作業所から戻ってきて、やたら礼儀正しく、職員さんに頭を下げて、それこらお子さんを中に入れるのですね。お子さんには少々乱暴なのですよ。
僕は人が亡くなるのも確かに怖いと思いますけど、一番は心の闇だと思います。お子様は声を出す事が出来ません。
何が中で行われているのでしょうね。
因習深い町や、不自然に墓や道祖神が多い所、それは必ず何が意味があります。
何で多摩川付近で、よく人が亡くなるのか。そういえば知り合いが引き寄せオーラの話をしていましたね。

引き寄せオーラとは、同じような人が寄ってくる

以前、Nさんのお話をさせていただきました。引き寄せオーラとは、同じような人が寄ってくるというのが、証明されているとの事です。
例えば、全く根拠のない町に住んで、ずっとそこから離れる意思があっても離れられない。
又は、何かで入院して、特に何もなくずっとそこにいる。
それは理屈というより、何か同じ類のものが集まるのだそうですよ。う

だから、全く理由もなく、あなたが住んでいる所や通っている職場や学校には、同じものを持ったものが集まるというのが引き寄せオーラだそうです。

青梅市の町内会で、少し交わった時、近所の寺の話が出ました。
寺というのは、結構、その地域の村長や、重要な決定権を僧侶が握っていた。又、檀家というものもある。という話を聞きました。
当然、僕は引っ越してきたのは20年くらい前ですから、寺なんざ意識してないです。
でも檀家というものには共通項があります。不思議に、長くそこのなんたら仏を拝んでいる人は、長男が失業する、子に恵まれない、町内会でびっくりしたのは御家人が多いのです。
女性だと旦那と先別れたり、そういう人が多いのです。
だから、僕は先に話しておくと、多摩川にそういう亡くなる理由はずっと昔からあったのではないかと思います。
あながち、心霊スポットで全くのでたらめかというと、どうなんでしょうね。

エアコンが効いていなかったらしく

家族が熱中症らしい症状で寝込んでしまいました。昼間趣味の会に出席したのですが、エアコンが効いていなかったらしく、気分を悪くしたとのことでした。
季節はずれとはいえ、この猛暑の中エアコンをつけないのは、何を考えているのかよくわかりません。各地で、エアコンをつけないで熱中症になった、というニュースがたくさん流れています。
今日は、台風の接近で、多少下がったとはいえ、まだ猛暑といえるくらいの気温でした。そういう中、エアコンをつけないとどういうことになるのか、わからなかった、ということはないでしょう。
そういう集まりを主催する以上、参加者の体調などにも気を配る必要があり、暑いなら熱中症を心配し、エアコンなどで温度調節をするべきです。家族は、趣味の会にいろいろお世話になっているので何も言ってないようですし、私も、家族が何も言っていない以上、言う資格はないと思います。
しかし、もし、家族が入院とかの事態に鳴った場合は、趣味の会の人にクレームはつけます。家族には申し訳ないのですが、私も家族を守る責任があります。
今日家族が具合を悪くしたので、このようなことはもうないもの、と思いますが、こういうことには気をつけてほしいところです。

犬と猫

90年代、日本のロック界にキラ星のごとく現れた大型新人、中村一義のデビュー曲「犬と猫」
「どう?どう?町を背に僕は行く」という歌いだしで始まり「皆そう 同じようなもんかねぇ 犬や猫のようにね」という独特の歌詞。
今となっては、知る人ぞ知るという存在になってしまったかもしれないが、90年代に青春を送ったロック好きには忘れられない名曲だろう。
確かこの「犬と猫」というタイトルには「人は皆、それぞれ、同じではない。犬と猫のように違うものだ」という意味がこめられていたと記憶する。
皆一緒、皆同じが当たり前、ちょっとでも違うと攻撃される、閉鎖的な社会にありがちな状況に風穴を開けてくれる名フレーズに、思春期の後遺症を引きずっていた、当時20代半ばの私はいたく感動した。
以来、到底分かり合えない人と付き合わなければならないとき、違う価値観を押し付けられそうになったとき、私はいつも「犬と猫」というフレーズを思い浮かべ「犬には犬の生き方があり、猫には猫の生き方があるように、私には私の生き方がある」と強く意識してきた。
若かったあの頃の私は「犬と猫」というフレーズにどんなに救われてきたことだろう。
ところが、30代を折り返す頃、その考え方が変わってきた。
きっかけは、ペットの犬と猫が仲良く暮らしているYou tubeの動画だ。
異種である犬と猫が、兄弟のように、親子のように仲良くじゃれあっているその動画に、不思議なほど、癒されてしまった。
犬も猫も分かり合えるんだなぁ。
中村一義の「犬と猫」も、本当はこんな理想を描いていたのかもしれない。